「―――隣、いいですか?」
「勿論」
「ありがとう」
ニッコリと人当たりの柔らかい笑みを浮かべた女は、スーツ姿の男性に穏やかな声音で言葉を向けた。
既に日没から数時間。
橙の全てが藍に呑まれた世界の中で、とあるバーのカウンターに腰を下ろした男女が会話を交わすのはこれが初めてのことだった。
「いつもここに居ますよね」
「ふふ、気付かれていたんですね」
「お綺麗で目立ちますから」
言葉によるやり取りのテンポは決して速くなく、既にアルコールの入ったグラスを傾けながら声音を落とす女。
そんな彼女を細めた切れ長の瞳で捉えた男は、バーテンダーに「XYZをショートで」と声を掛けた。
「貴方も、いつも来られてますよね」
「………いや、嬉しいな」
「目立ちますから」
御返しだとでも言うようにそう言葉を落とした女は再度グラスを傾け、残り少なかったカクテルを喉に流し込んだ。
そして間髪を容れずに「サウサゴールドのストレートとライムを」と柔な声音で言葉にする。
それを耳にしたバーテンダーは一瞬目を丸くしたものの、直ぐに「畏まりました」と口にしてカウンターの奥へと姿を消した。
「―――驚いた」
「ふふ、どうして?」
その言葉とは裏腹に穏やかな微笑を浮かべた男は、ポケットに忍ばせていた銘柄に手を添えると女を一瞥する。
その視線を流し目で受け取った女は「構わないですよ」と口角を上げて口にした。
店内に紫煙が立ち上っていく。
タイミングよく運ばれてきたアルコールグラスに手を置く傍ら、感情の込めた瞳で女に向き直った男は一言「理由を聞いても?」と。
赤いマニキュアの施された指先で自身の髪を梳いた女は、至極愉しげな声音でこう零す。
「たった今、酔いたい理由が出来たから」
テキーラと一欠片のライム
赤い爪が男の記憶と背中に残ることを