ニュートラルからドライブへ

 


「失礼しまー…、て、あ」


「おい、なんだよそれ」


「毎度ながら……よろしくです」


「おー、入れや」



バタン、と聞き慣れたドアを閉める音。


それを何処か遠くのものに感じながらシートの位置を確認していれば、ふと感じる視線に顔を上げた。






「…、なんでしょう」


「いや、お前ももう卒業かと思ってー。早いのか遅ぇのか」


「馬鹿にしてます?」


「いや別に?」



否定しつつもその顔に浮かべるのは企むような悪戯な笑み。


そんな表情を目の当りにした私は、また始まったと軽い溜め息を零した。







「最後の日なんですからちゃんとお願いしますよ、先生」


「果たして最後になるのかねぇ」


「……そろそろ怒りますよ?」



片眉の尻を吊り上げ、尻目に懸けるように言葉を向けてやった。






そんな此方の様子を持ち前の剽軽(ひょうきん)さで受け止めた彼はと言うと、



「おー、こえーこえー」



なんて肩を竦めて戯(おど)けてみせるものだから堪らない。






最終的には無視を決め込み、何時も通りのチェックを行った車はゆっくりと滑り出す。


車体の上に"検定中"というプレートを乗せたそれは、程なくして車道に入り込んだ。





* * *





「お疲れさん」


「……お疲れ様です」


「ぶすっとすんなよ、ちゃんと見たからよ」



トントン、とその指で示すのは私の名前や写真が貼り付けられたボードで。





……、…それって生徒に見せちゃまずいんじゃないの?


そんな怪訝さを孕んだ瞳を持ち上げると、唇の端をゆるりと上げた彼は面白げな声音で。




「まあ、受かったかっつうと微妙だけどな」


「いつも先に言うのやめてください…!」


「あー、修検のときは――」


「わーわー!」



慌ててシートから身体を浮かせ、その口を手で押さえ込んでしまおうと考えた私だったけれど。







「…っ、」



急に、でも、なんて言うか。


自分でもよく分からない動悸に呼吸を奪われ、持ち上げた腕は行き場を無くした。





そして、


「か、過去のことでしょ……」


余りの不体裁具合に、顔を思い切り背けてそう言葉を零すに留まる私。





そんな此方の様子を細めた瞳で視界に映した彼は、



「過去、ねぇ」



何か特別な感情を込めた声音でぽつりと洩らし、顔を窓へ向ける私の後姿を目視していて。


その口許には、何時も通りの笑みが刻まれていた。





* * *





「検定お疲れさまー。待合室Bで待っててね、後で結果持っていくから」


「お疲れ様です……」


「ねえねえ、どうだった?」



そう言う受け付けのお姉さんの瞳は、面白いと言わんばかりの好奇心に満ち溢れていて。





そんな彼女の意図するところは、きっと彼に関することだろうと思った。


けれど、




「あはは、私なんか揶揄われてるだけですよ」




最後まで、アクションを起こそうとしないのはそういうことでしょう?


ほとんど本音でそう言った私の言葉を、お姉さんは「またまたー」とまともに受け取ってはくれなかったけれど。







バタン、車とは違った類の開閉音と共に俯けていた顔を持ち上げる。


その瞬間、




「うそ……」



自分でも気付かない内に、そんな小さな呟きを発してしまっていた。






視線の先に居るのは、今日検定を受けた人数分の資料を持った彼だったから。


お姉さんの口振りからして、きっと彼女がその役目を担うものだと思い込んでいた。




だから彼と接するのは、先程の車内が最後だと。


そう、思い込んでしまっていたから。





一瞬ぱちりと合った視線の中で、彼がゆるりと笑みを浮かべた気がした。






「───つーわけで、今日の受検者で不合格者はゼロ。長い間お疲れさん、じゃ解散ー」


「センセ、最後まで適当だったな」


「はあ?ちゃーんと試験当日のイロハ教えてやっただろ。ほれ、帰れ帰れ」


「はは、ひっでー!じゃーなー」


「おー、気を付けてな」




鞄に書類を詰めている傍ら、そんな会話が耳に入り顔を上げた。


他の生徒を送り出していた彼は、指先をひらひらと泳がせている。




私の視線が捉えたのはその大きな背中のみだったから、少しだけ安堵した。





けれど、


「な?言っただろ」


そんな言葉と共に振り返った男は、私が視線を向けていることに。


まるで気付いていたかのように、悪戯な笑みをその口許に刻み込む。




「な、受かってるか微妙だって…!」


「不合格だとは言ってねぇ」


「またそうやって揶揄うっ、」



言葉尻が、詰まってしまった最大の理由は。



「仕方ねーだろ」



その余りの至近距離に、呼吸を洩らすことさえ憚われたから――、



「気付いたらこんなことばっか言ってんだよ、お前には」







「ッ、」



瞬時に頬に赤い色が迸って。


それを目にした目の前の男が微笑んだあたり、またもや嬲られているんじゃないかと気を揉む私。





だけれど、


「――…そういうとこ、可愛すぎ」




落とされたそんな言葉によって、心配は杞憂に終わってしまった。








ニュートラルからドライブへ

彼と私の関係の変化を表すなら、そんな感じ